セロ弾きのゴーシュ
- 2008/10/06 18:04
- Category: works
遅ればせながら、9月に発行されたスピナッツ71号のお話を。
完成した冊子を送っていただいたのは先々週ぐらいでしたが
なにぶんギリギリで乗り越えてきた9月だったので
読み出したのは、やっと今日。
いやー、おもしろいです!ポンタさん。
どこがどうおもしろいか、いちいち伝えたくなっちゃいます。
そして、私の作品を載せていただいた記念すべき一冊でもあります。
たいへん綺麗な誌面を作っていただきました・・・感激。
嬉しいので、くどいほどアナウンスしちゃう。
ポンタさんとは、まず、作る人形のテーマから話し合いました。
やはり、日本の童話がよいね、と。
「賢治しかない。」とすぐにストンと結論は出るのですが
以前poppetさんと2人展をしたときも宮沢賢治でして、
あの時の苦悩&苦悶がトラウマになっていたので
最初はしりごみしていました。
「セロ弾きのゴーシュ」は少々の異国情緒をもって
書かれた作品ですが、自然と繋がりをもって芸術(感情)を
昇華させる感覚は、とても日本らしい。
話の中に出てくる音楽も、すべて譜面が実在しないらしく
既存のイメージを嫌った賢治は、音楽も「想像」を要求します。
そして私は、なにひとつ頼りにする音楽もさがさずに
草原に廃棄された木の船の写真を見ながら
ゴーシュを作り始めました。
ゴーシュは街までセロを担いで演奏に行きますが
住処は村はずれの小さな川のそば、壊れた水車小屋です。
バケツに汲み置いた水をコップにザブッと入れて、ごくごくと飲む。
昼間は家の外をブラブラして、夜にセロを弾く。
そんな所在ない生活は、まるで場違いに放置された廃船と
同じように感じられたのです。
文中のゴーシュは、すごい形相でセロを練習し
動物に尊大な態度も見せます。
でもきっとそれは、賢治自身の投影であって
他人から見れば、おそらく不器用で凡庸な男性だったでしょう。
非常に冴えない男として、ゴーシュを作りました。
長々とした文章ですいません。
次回写真をUPします。
完成した冊子を送っていただいたのは先々週ぐらいでしたが
なにぶんギリギリで乗り越えてきた9月だったので
読み出したのは、やっと今日。
いやー、おもしろいです!ポンタさん。
どこがどうおもしろいか、いちいち伝えたくなっちゃいます。
そして、私の作品を載せていただいた記念すべき一冊でもあります。
たいへん綺麗な誌面を作っていただきました・・・感激。
嬉しいので、くどいほどアナウンスしちゃう。
ポンタさんとは、まず、作る人形のテーマから話し合いました。
やはり、日本の童話がよいね、と。
「賢治しかない。」とすぐにストンと結論は出るのですが
以前poppetさんと2人展をしたときも宮沢賢治でして、
あの時の苦悩&苦悶がトラウマになっていたので
最初はしりごみしていました。
「セロ弾きのゴーシュ」は少々の異国情緒をもって
書かれた作品ですが、自然と繋がりをもって芸術(感情)を
昇華させる感覚は、とても日本らしい。
話の中に出てくる音楽も、すべて譜面が実在しないらしく
既存のイメージを嫌った賢治は、音楽も「想像」を要求します。
そして私は、なにひとつ頼りにする音楽もさがさずに
草原に廃棄された木の船の写真を見ながら
ゴーシュを作り始めました。
ゴーシュは街までセロを担いで演奏に行きますが
住処は村はずれの小さな川のそば、壊れた水車小屋です。
バケツに汲み置いた水をコップにザブッと入れて、ごくごくと飲む。
昼間は家の外をブラブラして、夜にセロを弾く。
そんな所在ない生活は、まるで場違いに放置された廃船と
同じように感じられたのです。
文中のゴーシュは、すごい形相でセロを練習し
動物に尊大な態度も見せます。
でもきっとそれは、賢治自身の投影であって
他人から見れば、おそらく不器用で凡庸な男性だったでしょう。
非常に冴えない男として、ゴーシュを作りました。
長々とした文章ですいません。
次回写真をUPします。