6月10日ー18日まで、銀座での展示のご案内
- 2022/06/12 14:07
- Category: notice
銀座の靖山画廊さんの2階には、GALLERY凸という1作品しか展示しない場所があります。
そこでやはり、1点だけ人形を置かせていただきます。
https://art-japan.jp/exhibitions/7320/
「スペシャルな場所なので、スペシャルな作品を」と言われたとき、1点でいいなら楽だなとしか
正直考えていなかったのです。
いや、楽というのはおかしい。作ることに楽なことなんて、あった試しが無い。
全然違う3つラフ絵を描いて、夫に見せた。どれがいい?と。
「タコ足のスカートが可愛いキャラの少女」と「竜を使う少年騎士」、そして実際に作ったこの青年。

『 新しい朝 』
私の家の新しい炊飯器は、炊きあがると無機質な”キラキラ星”が流れる。
たいして造詣もないのに、クラシックの名曲のぞんざいな扱われようが、たいへん気の毒だと思う。
だって私は知らなかった。毎日学校で流れていた昼休みを知らせる曲が、ドビュッシーだったことを。
初めて気がついたドビュッシーという”素晴らしいドア”をひらくと、とても密やかで眩しい朝が来る。
ピアノの音が大嫌いだったのに、今はピアノ・ソナタの響きでどんな感情でも引き出せる。
この人形はシンデレラをもとにしている。
おとぎ話もおひめさまも話の中では因習と道徳に囚われ、幸せな結婚以外の選択肢は無い。
だけどそこに、”素晴らしいドア”が無かったはずがない。
***
18世紀のフランス貴族のファッションにしようと決めてから、今年の4月に渋谷であった
「半・分解展」の開催を楽しみに待っていた。
個人収集家が集めたアンティークの服を、実際に触ったり着たりして確認できるというのが
一番の魅力だけど、会場でのハプニング性の高さも楽しかった。
主催者が予定外のレクチャーを始めたり、試着した客がファッションショーのように会場を歩いたりする。
拍手が起こる。展示用のボディとハンガー、型紙と写真が会場を離れたあとも頭の中を巡る。
結局5時間くらい滞在したけど、おそらく展示内容の4割もきちんと見られていない。
そして、貴族はたいへんだ、と思う。
ヨーロッパ人も昔はからだが小さかったと聞くけど、子供の服のように小さくて細身の服ばかりが目立つ。
享楽的なロココのイメージとは遠く、男性は常に剣を磨いて戦場に出る準備をしないといけない。
バレエは当時の男性貴族の嗜みで、そこから美しい所作と作法が生まれる。
出会ってすぐに帽子を脱ぐタイミングと優雅さだけで、その人の価値が量られる。
使用人がいなければ服の着脱もままならないのは、袖口すらもあまりにギリギリに作られているから。
ほんと、たいへんだ。

人形は最初から、アビ(コート)を着せないつもりでいた。
和服でいうならば帯を締めずにウロウロするようなもので、とてもプライベート感が強くなる。
シャツは2〜3のアンティークシャツの型紙を参考にして、縮尺を再考して人形用の型紙にした。
クラバット(タイ)で見えないけど、一応高めのスタンドカラーがついている。
シャツの上はウエストコート(ベスト)。前身ごろの半身は、3つのパーツをつなぎあわせてある。
なぜなのかは、ちょっとわからない。けど、たぶんそのほうがシルエットがきれいになるからかな?
アビを着るとウエストコートは前からしか見えないので、背面の布は造りも簡素なのが通常で
この人形のような太巾のリボンを使われることはないけど、細いリボンや華奢なベルトで締める。
そう、リボン。当時の服はほとんどがリボンとボタンで身にまとう。
男性のかつらは白粉をはたいて黒いリボンで結われているし、おしゃれな若者は手首に必ず
黒いリボンを巻いて肌の白さを強調していたらしい。
全体的なバランスから、黒いリボンはやむを得ず選ばなかったけど。
リボンの色にも意味があって、思う相手にそれを贈る。
リボンの色を見た周囲の人間は、その贈り主を口元を隠した扇の裏であれこれと噂する。
今の紳士服でリボンといえばタキシードに合わせるエナメルくらいしかパッと浮かばない。
けれどあの浅く織られた細長い布には、思った以上に人の心が込められてきた歴史がある。
ウエストコートの刺繍はレースから切りとった刺繍を縫い付け、シルバービーズとスフレガラスのビーズを
上から縫い込んだ。スフレガラスのビーズはアンティークのもので、繊細だけど今回始めて使用してみた。
目についた時に買っておいて、ほんとによかったなと思う。他に相応しいものが思いつかない。
大きいサイズの成人男性を作るのが初めてだったので、全部完成してから分解して足を短くしたり
女性の靴も布を貼り直したり、髪の毛をすべて作り直したりと、大幅な手直しを繰り返した。
もはやなぜこれを作り始めたのかは、霧散している。
ものを作る人にはわかるだろうし、知ってほしいと思う。
時間さえ許すのならば、つくりたい、という気持ちを手放してはいけないと思う。
本来のモーツアルトのきらきら星は、軽やかに美しい曲なのだから。
そこでやはり、1点だけ人形を置かせていただきます。
https://art-japan.jp/exhibitions/7320/
「スペシャルな場所なので、スペシャルな作品を」と言われたとき、1点でいいなら楽だなとしか
正直考えていなかったのです。
いや、楽というのはおかしい。作ることに楽なことなんて、あった試しが無い。
全然違う3つラフ絵を描いて、夫に見せた。どれがいい?と。
「タコ足のスカートが可愛いキャラの少女」と「竜を使う少年騎士」、そして実際に作ったこの青年。

『 新しい朝 』
私の家の新しい炊飯器は、炊きあがると無機質な”キラキラ星”が流れる。
たいして造詣もないのに、クラシックの名曲のぞんざいな扱われようが、たいへん気の毒だと思う。
だって私は知らなかった。毎日学校で流れていた昼休みを知らせる曲が、ドビュッシーだったことを。
初めて気がついたドビュッシーという”素晴らしいドア”をひらくと、とても密やかで眩しい朝が来る。
ピアノの音が大嫌いだったのに、今はピアノ・ソナタの響きでどんな感情でも引き出せる。
この人形はシンデレラをもとにしている。
おとぎ話もおひめさまも話の中では因習と道徳に囚われ、幸せな結婚以外の選択肢は無い。
だけどそこに、”素晴らしいドア”が無かったはずがない。
***
18世紀のフランス貴族のファッションにしようと決めてから、今年の4月に渋谷であった
「半・分解展」の開催を楽しみに待っていた。
個人収集家が集めたアンティークの服を、実際に触ったり着たりして確認できるというのが
一番の魅力だけど、会場でのハプニング性の高さも楽しかった。
主催者が予定外のレクチャーを始めたり、試着した客がファッションショーのように会場を歩いたりする。
拍手が起こる。展示用のボディとハンガー、型紙と写真が会場を離れたあとも頭の中を巡る。
結局5時間くらい滞在したけど、おそらく展示内容の4割もきちんと見られていない。
そして、貴族はたいへんだ、と思う。
ヨーロッパ人も昔はからだが小さかったと聞くけど、子供の服のように小さくて細身の服ばかりが目立つ。
享楽的なロココのイメージとは遠く、男性は常に剣を磨いて戦場に出る準備をしないといけない。
バレエは当時の男性貴族の嗜みで、そこから美しい所作と作法が生まれる。
出会ってすぐに帽子を脱ぐタイミングと優雅さだけで、その人の価値が量られる。
使用人がいなければ服の着脱もままならないのは、袖口すらもあまりにギリギリに作られているから。
ほんと、たいへんだ。

人形は最初から、アビ(コート)を着せないつもりでいた。
和服でいうならば帯を締めずにウロウロするようなもので、とてもプライベート感が強くなる。
シャツは2〜3のアンティークシャツの型紙を参考にして、縮尺を再考して人形用の型紙にした。
クラバット(タイ)で見えないけど、一応高めのスタンドカラーがついている。
シャツの上はウエストコート(ベスト)。前身ごろの半身は、3つのパーツをつなぎあわせてある。
なぜなのかは、ちょっとわからない。けど、たぶんそのほうがシルエットがきれいになるからかな?
アビを着るとウエストコートは前からしか見えないので、背面の布は造りも簡素なのが通常で
この人形のような太巾のリボンを使われることはないけど、細いリボンや華奢なベルトで締める。
そう、リボン。当時の服はほとんどがリボンとボタンで身にまとう。
男性のかつらは白粉をはたいて黒いリボンで結われているし、おしゃれな若者は手首に必ず
黒いリボンを巻いて肌の白さを強調していたらしい。
全体的なバランスから、黒いリボンはやむを得ず選ばなかったけど。
リボンの色にも意味があって、思う相手にそれを贈る。
リボンの色を見た周囲の人間は、その贈り主を口元を隠した扇の裏であれこれと噂する。
今の紳士服でリボンといえばタキシードに合わせるエナメルくらいしかパッと浮かばない。
けれどあの浅く織られた細長い布には、思った以上に人の心が込められてきた歴史がある。
ウエストコートの刺繍はレースから切りとった刺繍を縫い付け、シルバービーズとスフレガラスのビーズを
上から縫い込んだ。スフレガラスのビーズはアンティークのもので、繊細だけど今回始めて使用してみた。
目についた時に買っておいて、ほんとによかったなと思う。他に相応しいものが思いつかない。
大きいサイズの成人男性を作るのが初めてだったので、全部完成してから分解して足を短くしたり
女性の靴も布を貼り直したり、髪の毛をすべて作り直したりと、大幅な手直しを繰り返した。
もはやなぜこれを作り始めたのかは、霧散している。
ものを作る人にはわかるだろうし、知ってほしいと思う。
時間さえ許すのならば、つくりたい、という気持ちを手放してはいけないと思う。
本来のモーツアルトのきらきら星は、軽やかに美しい曲なのだから。